人類が電気を手なずける過程に見るイノベーション
張大愷氏の科学入門書『電の旅――人類が電子を操る歴史をたどる』は非常に面白い。
この世のあらゆる発展は段階を踏む。ボルタが電池を発明してからアタナソフが二進コンピューターを構想するまでに200年以上が流れ、その間には天才のひらめきも、産業界への示唆も詰まっている。
自分を知ること。ウィリアム・ショックレーは優秀なトランジスタ研究者だったが、経営者としては失格だった。伝説の「8人の反逆者」を集めながらも、頑固さと独りよがりで会社を潰してしまった。同様に、フェアチャイルド半導体を支援したニューヨークの投資家たちも技術を理解できず、口出ししすぎて会社を弱らせた。
思い込みに固執するな。トーマス・エジソンは直流に執着し、結局テスラとウェスティングハウスに追い越され、挙げ句の果てに創業したGEからモルガンに追い出された。
協力して共存を目指す。1940年、チャーチルは惜しげもなくマグネトロン技術を米国と共有し、機上レーダーの発展を一気に加速させ、英米同盟を強化した。
知財を守る。ベル社のガードナー・ハバードはエリシャ・グレイの電話技術を盗ませ、その後特許訴訟でウエスタンユニオンの動きを止めた。
良い製品には良いマーケティングが必要。最初の電報も電話も電灯もTV中継も、周到に演出されたショーだった。
驕りは機会を失わせる。1952年にベル研究所がトランジスタ技術を外部に開放したとき、テキサス・インスツルメンツやモトローラ、TKK が躍進し、当のベルは衰退していった。
人材こそ最優先。研究開発は結局人が担う。ベル研究所は世界最高の科学者を抱え、数十年にわたり半導体業界をリードした。米国防総省も科学者を動員して難題を集中攻略し、戦中・戦後の覇権に結びつけた。
理論と実践の順番は問題ではない。1895年にレントゲンがX線を発見したとき、正体はまだ分からなかったが、医療分野は即座に応用した。ショックレーは1939年にトランジスタの概念を提唱したが、ベル研究所が実際に作れたのは1948年だ。
偶然から生まれる成果もある。ウエスタンユニオンは電話音質改善のためにエジソンへマイク開発資金を提供したが、エジソンはその資金で蓄音機を発明し、初めての大金を手にした。
細部に目を凝らす。1820年、エルステッドは授業中に電流が磁針を振らすのを見て電磁気の関連性を示した。1895年、レントゲンは陰極線の実験中に装置から謎の放射が出るのを見てX線を発見した。
最初の「桶一杯の金」が重要。フェアチャイルド半導体が最初に受けたIBMの50万ドル注文が命綱になった。
企業が倒れる理由は技術不足ではなく顧客理解の欠如だ。エジソンはベルリナーより10年早く蓄音機を作ったが、自分の好みの音楽しか売らず、しかもその趣味が絶望的だったため敗れた。RCAのサーノフはラジオ普及の際、ハードは道具に過ぎず、聴衆が求めるのは番組内容だと悟り、会社を巨大化させたため政府に二社へ分割されるほどだった。
公開日: 2019年7月31日 · 更新日: 2025年11月20日